校歌をお聴きになる前に、お読みいただけたら幸いです。以下は当校の学校沿革の一ページです。
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校 歌 | ||
1 制定年月日 | 平成元年3月20日 | |
2 制定由来 |
当校の開校に先立ち、「新設校の開校準備が着実かつ円滑に行われるよう(開校準備委員会会則)」地域と市教育委員会のパイプ役として開校準備委員会(飯田富司会長)が設置された。この開校準備委員会は、開校後の当校の教育環境整備を目的として、後援会として発足し直し、第一回の卒業式を迎えるまでに、校歌の制定と校旗の樹立を決定する。そのための資金は、全学区民より徴収した後援会費でまかなわれる。 | |
2 作詞、作曲者 |
作詞 広島大学教授 浮橋 康彦 先生 作曲 新潟大学教授 久住 和麿 先生 |
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3 作詞、作曲の意図 | ||
(1)校歌の心 作詞者 浮橋 康彦 | ||
東豊小学校は、すばらしい環境に恵まれています。学校の名前の「東」には堂々とした美しい二王子の山、毎朝の太陽の光はその山から生まれ、大地を照らします。子どもたちはその峰を仰いで、力いっぱい伸びていきます。二王子の山が見下ろす大地は、秋にはこがねのの実りがあふれ、学校の名前の「豊かさ」そのもののふるさとです。その大地をしっかり踏みしめて、子どもたちは学びの道を進みます。ねばり強く、自ら学ぶ子どもは、この学校の願いでせう。これが市一番の心です。 二番は、旧藩主溝口家の家紋「五階菱」をもとにした校章をモチーフにしました。校章は丸い輪と「五階菱」を組み合わせた、力強く美しい形です。「輪」は「和」に通じ、子どもたちに思いやりと協調の心を育てようという教育精神を現しています。「五階菱」もまた大きな菱と小さな菱が重ねられていて、これも力を合わせる姿です。また、五つの鋭角が外に向かって放射する形は、学校のみんなが力合わせて輝くというイメージを示しています。体を鍛え、耐える力、また美しい心、思いやりの心という教育の目標を、ふぶきに負けないたくましさと、冬のあとにみんなそろって咲きそろう友情の花園という姿で表現しました。 一番が「山」と「大地」を歌ったのに対して、三番は「川」と「海」をモチーフとしました。加治川の流域をめぐる歴史は長く、その水もまた絶えることなく長く流れつづけています。その流れの行きつくさきの日本海は果てしなく広く、このふるさとが海を越えて、まっすぐに広い世界につづいていることを実感させます。子どもたいはこのふるさとにしっかりと足をつけつつ、また広い世界に心はばたかせるでしょう。ことにこの学校のまわりは新しく開け行く町であり、未来を目指して進む勢いをもっています。その真ん中に、新しい東豊小学校が出発し、広い校区から子どもたちが集まって大きな仲間になります。一つにまとまった「われら」こそ、東豊小学校の未来を築く力であり、誇りなのです。 こんな心を、校歌の歌詞にこめました。久住和麿先生の曲ははずむようなリズムと明るい美しいメロディ、生き生きした力強い校歌にして下さいました。この校歌が東豊小学校の子どもたちに愛され親しまれて、毎日でも歌ってもらえるように、そして学校の教育に役立つように心から願っています。 |
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2)校歌を作曲して 作曲者 久住 和麿 | ||
小学校の校歌を作ることは、私にとって、難しい現代音楽の作曲をすると同じように大変な仕事です。しかし校歌の方は、でき上ってから大きな楽しみがあります。児童の皆さんが精一杯元気よく歌ってくれる姿を見るのは、作曲する者にとってもっとも嬉しいものです。 校歌は式の時だけ歌うものとか、形式的なものだから詩として立派でなくとも、音楽として人に感動を与えられるような立派なものである必要はない、とか無責任な考え方をする人も世の中には居られるようです。しかしこれは大変間違った考えだと思います。感覚的にも無垢な子供の時代に、教え込まれた音楽のイメージは、良かれ悪しかれすべて、子供の血となり肉となって、将来のその子に大きな影響を与えるはずです。その意味で、私は校歌の作曲を大切に考えているわけです。 |